母の決断−重度障害児と生き抜いた母の記録−

(2001年9月23日更新)


この本は、奈々の療育の場として過ごした、とねっこ保育園で一緒だった、板垣家のお父さんが書いた自費出版の本です。

板垣家も、我が家と同じように、難病の子を抱え、子供の育つ場を求めて、自分の持ち家を残して、とねっこ保育園に来ました。いつも、光のために一生懸命だった板垣家は、私たちの良きお手本でもありました。

約2年前になりますが、板垣の母が、子供の手術のために、九州にある病院に行き、夕方、居眠り運転の車に母子ともに轢かれました。

母がかばったのでしょうか、母子ともに重傷でしたが、お母さんは光のために生きようとしているように意識は戻りませんでしたが数日間は死と戦い力尽きて亡くなり、光はなんとか命をとりとめ、しばらくは光もショックで立ち直れない時期もありましたが、今は元気になり、つかまり立ち、伝い歩きまでできるようになりました。どんなにか、お母さんはこの光の姿を見たかったのだろうかと思うと、残念ですが、お母さんが天国から、光に力を与えたのかもしれません。

この本には、光の生い立ち、裁判の記録、板垣家、光を支えた人たちからの暖かい言葉、そして、お父さんの撮影した写真と詩という構成です。

お父さんの詩が、心に響きます。少し、ご紹介します。

  わたしは
  孤独とうまくつき合えるようになりました
  相手をしてくれるのは「花」です
  今日も 道端に咲く野花の強さに出会いました
  わたしは
  ひとりで上手に眠れるようになりました
  添い寝をしてくれるのは「夢」です
  わたしは
  前を向いて歩いていけるようになりました
  旅の友は「詩」です
  今日も 美しい言葉に出会いました
  だからもうだいじょうぶです

  ひかる 「おはなだよ」って
  あなたは 道端の草や花に
  こころよてせいましたね。
  私もようやく 草や花たちの美しさ、やさしさ
  そして、強さが すこしわかるようになりました。
  ひかる 「おはなだよ」

  あなたはひかるの声を聞き、
  ひかるの言葉を見たのですよね。
  私にはまだひかるの言葉は見えません。
  だから、
  ひかるとしっかり向き合わねばならないんです。

この他にも、さくさんの、お父さんの心の呟きが、素晴らしい詩と、写真で表現されています。


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