クシュラの奇跡

(1998年11月22日更新)


この本は、染色体異常を持ち、身体的に大きなハンディキャップを持つ子供の親が、

眠れない我が子との時間を過ごすために、1日中絵本を読んであげ、これにより、

健常児と同等の学力を持ち、外界とのコミュニケションを保つことができ、意欲を

損なわず、やがて、歩き、走ることができるようになっていく様子が、本当によく

描かれています。

以下は、私がこの本を読んで、自分なりに勉強するつもりで書き留めたものです。


クシュラの奇跡

 140冊の絵本との日々

   ドロシー・バトラー著 百々佑利子 訳

        のら社

第1章 誕生から6ケ月まで

 時間をかけて手厚く看護すけば、健康な赤ん坊ななるだろう。それは自分たちの

 当然の権利ではないか。両親はつゆほども疑いをもっていなかった。

 健康な赤ん坊のように、「しがみつく」ことももないし、背中と脚は「ふにゃ

 ふにゃ」していた。ひきつるような反応は明らかに異常とももいえるほど、

 頻繁に起こるようになった。

 両親は、クシュラがぐっすり眠むっている時を除いて、いつでもしっかりと抱い

 ていた。泣いているのに放っておいたことはない。抱かれているだけで、クシュ

 ラが楽になるとは限らない。それでも両親は、とにかく抱いていることにした。

 時は流れたが、クシュラの前途は暗澹としており、好転の兆しもなかった。両親

 は、自分たちの子供らは「治す方法」なんかないのではないかと思うようになっ

 た。

 この時期にクシュラの母親は「障害児」に関する本を図書館から借り出して、

 これに備えようとした。しかし、本を読んでも疑念が残るだけで、クシュラの未

 来について分かることは、何一つなかった。

第2章 8ケ月から9け月まで

 クシュラの言語が、生後35週目の粋ジョンにそれほど遅れていない点も、注目

 に値する。このまずまずの得点は、入院中許される限り家族が付き添っていたこ

 とと、クシュラに与えられた言葉の量の豊かさ−語りかけ、歌、絵本の読み聞か

 せ−が直接関わっているようである。

 クシュラの運動能力は、当時、非常に限られていたので、ほとんど絶え間のない

 手助けが無ければ、体験を通して、自分の周りの様子を知ることもできなかった

 だろう。その体験をさせるため、決まったやり方があった。手を添え、クシュラ

 に両手で物を包み込むように持たせる。物とクシュラの手の両方を支えながら、

 口元に近づける。こうして、クシュラは、物も手もあつうの赤ん坊がするように

 口で「触れてみる」ことができたのである。

 この時期は、クシュラを抱いて言えの内外を歩き回り、興味の対象となりそうな

 物−戸外では葉っぱや花、屋内では絵や置物や鏡など、に注意を向けさせるよう

 にした。この月齢で、初めてクシュラは、特定の物に対して、強くひきつけられ

 る様子を見せた。

 絵本を見せる習慣はが定着したのは、2つの要素がうまく関わりあったからであ

 る。つまり、クシュラに外界の自称を体験させるためには、必ず大人が付き添っ

 て助ける必要があるという認識と、本に興味をもたせるのに成功したという事実

 が結びついている。

 クシュラに文章の無い絵本を見せる時は、大人は描かれているものを一つずつ、

 指さしてやった。

 次第に、クシュラは気に入った本が現れると、腕を振ったり、脚をばたつかせた

 りして、興奮している印を示すようになった。

 振り返ってみると、この時期は、両親が娘の障害という現実に直面し、同時に障

 害の性質や程度を未知のまま受け入れた時期として浮かび上がってくる。

 これは、推測に過ぎないが、絶えず抱かれて話しかけられている快さと安心感に

 よって、正常なコミュニケーションの手段を断たれた子供を苦しめるに違いない

 孤独感や恐怖が、少しは和らげられたのではないだろうか。そのような、大人の

 助けがあったからこそ、クシュラは本来ならば使えないはずの感覚−正しい視覚

 手と口の感触−を通して、人生のはじめの1年間に多くを学ぶことができた。

第3章 9ケ月から18ケ月まで

 15ケ月にクシュラは、這い這いができそうに、脚が発達したが、腕の弱さが妨

 げとなった。

 這い這いを、一人が背後からお腹を持って持ち上げ、もう一人が両手を動かすこ

 とを試みた。脚は動く。このプログラムは成功しないと悟った。

 第1は、クシュラの腕の筋肉が体重を支えられないということ、第2は、腕の動

 きをコントロールできないということである。クシュラが手と膝の動きを協調さ

 せて、這うことを覚える兆しは、まったく無かった。たとえ腕に必要な強さがあ

 ったとしても。

 歩く練習は、毎日させ、クシュラはいつものように元気に立ち向かった。平衡感

 覚はまるでなかったけれども、両手を持ってやると、脚を動かして歩こうとした。

 17ケ月になると、大人と片手をつなぐだけで、2、3歩歩けた。だが、つかま

 り立ちや家具の伝い歩きは不可能だった。

 9ケ月から18ケ月の間に、クシュラは、今後の発達がほとんど望めない状態か

 ら、改善が期待できそうな程度まで進歩した。

 以前には、もてるはずがないと思われた希望も生まれ、いまや家族は、わたした

 ちのクシュラは強い意志をもつ子供なのだと、確信を強めていた。

 しじゅう病気にとりつかれ、痛い検査や治療を受けなければならない。両親の腕

 さえも、クシュラがおかれたはかり知れない厳しい世界から守のには、頼りない

 ときがある。それでも、クシュラは、強い精神力の、のびやかな子供に成長して

 いた。良く笑い、具合が良いひとときは楽しみ、ぎゃきょうから立ち直る子供に。

第4章 18ケ月から3才まで

 18ケ月になってクシュラに遺伝的な欠陥があることがつきとめられた。

 かといって、これからの治療指針が得られたわけではないが、少なくとも、

 空論には終止符がうたれた。

 父親も母親も科学を学んできた。クシュラの染色体検査の結果に納得できなかった。

 自分たちにまた障害児の生まれる可能性があるのかどうか、正確な情報を要求

 した。親にも、同じ検査が行われ、クシュラと父親のスチーブンは、2人とも、

 不完全な染色体パターンを持つことが分かった。

 障害児の生まれる確立は、1/4 、父親と同じような染色体を持つ可能性は1/4

 となる。

 ここで、注意しなければならないのは、どちらの場合であっても、このような異常

 があるか否か、つきとめようがなかった。

 生後21ケ月、クシュラはもう大人2人の腕に支えられて、よちよち歩きができる

 ようになっていた。クシュラはいつものように意欲にあふれ「とにかくやってみる」

 のである。まだ、バランスは取れない。

 24ケ月になると、危なっかしげに短い距離を歩くようになった。30ケ月、クシ

 ュラは歩くようになっていた。といっても、ギクシャクして、転ぶときも手が使え

 なく、全般的に不安定であったため、事故が絶えなかった。

 この時期、事故の連続のなかで、手を出し過ぎれば練習の妨げになるし、やりたい

 ようにさせていいものかどうか、その兼ね合いが難しい。

 身体的な面でも知能的な面でも、医学的な予測はことごとく悲観的ではなかったか。

 そして、クシュラがたゆみなく里程標を通過してきたという事実が、それ以前に家

 族が抱いていたような、ささやかな希望ではなくて、大きな希望を未来にもてるよ

 うにしたのである。

 クシュラの這い這いは、進歩しなかった。両腕が弱い。

 握力は強くなっているいたのに、クシュラの手は脳の命令「放せ」に反応できない

 ようであった。

 クシュラは、33ケ月で排泄コントロールができた。

 ブルーナの2冊「こいぬのくんくん」「ちいさいおおさま」は大のお気に入り。

 「デイブといぬ」(Davy and His Dog)レンスキー作も愛してやまなかった。

 レンスキー作の「スモールさんののうじょう」(The Little Farm)も、大人にとっ

 て不可解であるが、幼い子供には通じる永遠の魅力をここでも発揮した。

 この時期に、レディバード・ブックス の2冊「うちのおちだい」(Helping at

 Home)と「こいぬとねこ」(Puppies and Kitens)を与えた。

 健常児は、周囲の環境と、それとわからないうにすみやかなやりとりをし、あら

 ゆる体験を「がっちり利用する」感覚を備えている。しかし、クシュラにはまっ

 たく、あてはまらなかった。

 輪郭がはっきりしていることは、クシュラにとって重要であり、常にモノクロの

 絵を熱心に見たし、とりわけ、白地に黒で書かれた文字や数字に興味を示した。

 ジーン・ジオン文の「どろんこハリー」(Harry the Dirty Dog)とジョン・バーニ

 ンガム作「ガンピーさんのふなあそび」(Mr Gumpy's Outing)、「あかいしゃりん

 のついたはこ」、ビアトリクス・ポターは、「こわいわるいうさぎのおはなし」

 (The Story of a Fierce Bad Rabbit)、E・H・ミナリック文、モーリス・セン

 ダック絵「こぐまのくんくん」(Little Bear)シリーズに、クシュラはうっとり

 聞き惚れた。

 幼児の本にとって大事なのは、

  主題、題材がともに適切であること。

    すでに知っているもの事や背景がと登場し、描写が正確であること。

  正確であって、しかも巧みにそして、雄弁に場面を設定し、物語を進めていく

   ーうちに言葉の豊かな泉を探検するような言葉の使い方

  ストーリー事態は、まっすぐな1本の線上を進まなければならない。

    「ガンビーさんのふなあそび」等

  読者を堪能させるクライマックス

 クシュラは「ふくろうとこねこ」「これはジャックのたてたいえ」「ねんねあか

 ちゃん」(Hush Little Baby)にクシュラは乳児期から愛着を抱き続けている。

 「クリストファー・ロビンのうた」(When We Were Very Young)を凌ぐ愛読書は

 ない。

 「わたしとあそんで」(Play With Me)

 ペトロネラ・ブライバーグ文、エロル・ロイド絵の「ぼくの弟ショーン」(My

Brother Sean)

「ピーターラビットのおはなし](The Tale of Peter Rabbit)は、2才9ケ月

 のクシュラをたちまち虜にした。

 エリック・カール作「はらぺこあおむし」(The Very Hungry Caterpilar)は、

 ニュージーランド出版界に衝撃を与えた。

 「ルーシーおばさんのぼうし」(Grandmother Lucy and Her Hats)により、

 他の本を読む時間が減ってしまった。クシュラ3才の時。

 この本は、クシュラにとって、2つの目的を叶えるものだった。

  ・クショラが良く知っている日々の営みをこまやかに描いているので、自分

   の体験を再確認でき。

  ・ルーシーおばさんがつぎつぎ帽子を出すというような魔法のテットであり、

   これによって現実の体験をさらに広げ、ふくらませることができる。

 マーガレット・ワイズ・ブラウン文「おやすみなさいのほん」(A Child's

Goodnight Book)には、夜に生ずるもろもろの現象に、「くらやみ」に尽きぬ

 興味を示した。似たような影響を与える本として、「みんなのこもりうた」

(The Animals Lullaby)は、穏やかで繰り返しの多い文章で、理想的な読み物。

 その他に、アリキの秀作「ねんねんあかちゃん」や、 アン・ウッド編「こも

 りうた」(Hush-a-Bye Rhymes)も、夜のとばりとばりが降りると必ずクシュラに

 読まされる定番の絵本となった。

 クシュラは2才を過ぎて、身近にいるものには重度の精神遅滞の恐れがあると

 は誰も思わなかった。たまたま、クシュラを見た人は、そうは、思わなかった

 だろう。平均的な子供とクシュラの差は歴然としていた。腕はいまだに、後ろ

 へぶらぶらしたし、顔には、困ったようなもの問いたげな表情を浮かべた。

 目の焦点を合わせるために頭をしょっちゅう動かしていたし、動作には協調性

 が書けていて、よくころんだ。ほんのちょっと触れられるだけでバランスが崩

 れる。そして、絶えず、物を落とした。

第5章 1975年3月 3才3ケ月

 クシュラはもう不安定ながらも自由に走り回ることができた。焦点を合わせよ

 うとして頭を激しく動かすことは変わっていない。手はどんどん使うようにな

 っていた。障害の大方が、手や指の細かい筋肉ではなくて、腕の大きい筋肉に

 伴うものであることが明らかになってきた。

 「どろんこハリー」「まりーちゃんのはる」(Springtime for Jeanne-Marrie)

 「ちいさいあかいめんどり」(The Little Red Hen)「三びきのやぎのがらがら

 どん」(The Three Billy Goats Gruff)、これらの物語は全て、動きが多く、

 わくわくするクライマックスがある。

 この時期、クシュラの大小関係の感覚は、ポール・ガルドンの「三びきのくま」

 に出会って、大いにのびのび広がった。

 この時期、ついにクシュラは自分をとりまく世界を自ら見聞して吸収しばめた。

 クシュラは、歌や童謡をたくさんそらで覚えていた。遊びながら、いつも歌っ

 たり口ずさんだりした。

 クシュラは、本の文章や詩を丸暗記した。それによって、話すことが身につき、

 ついで自分の言葉や表現を生み出すようになったのかもしれない。

 母親がそかんに記録をつけるようになったおかげで、予想外の副産物が得られ

 た。クシュラが「字を書くこと」に非常に興味をもちはじめた。

第6章 3才3ケ月から3才9ケ月まで

 クシュラの「目ー手」の協調は、むゆっくりであるが、発達しつつあった。

 複雑なパズルはやはり、無理だし、服を着るときは手助けが必要だったが、ク

 シュラは、絵も描けるようになっていた。

 3才8ケ月、両足をそろえて(その場で)ジャンプできるようになった。

 クショラの本とのつきあい方は、「一人で声を出して読む」のと、大人に読ん

 でもらうのと半々になった。

 クシュラ3才8ケ月の時のスタンフォードービネー式知能検査を受けた時の心理

 学者の報告である。

 知能ー知能は、標準以上

    目の焦点を合わせるのに軽い障害があると思われた。

    検査を初めてから、この12ケ月の発達は目覚ましいものがある。

第7章 クシュラの発達ー現代の子供の発達理論に照らして

 知能の面で正常だが、生後一年間を悩ませたような身体障害をもつ後ともの場合

 どの程度発達が妨げられるものだろうか?クシュラは、微細運動の協調の面で、

 生後6ケ月の赤ん坊並みになるまでに17ケ月かかった。

 クシュラは恵まれていた。両親は、娘の知能障害をほぼ確実なものとして受け入

 れたものの、それにもかかわらず、不断の刺激を与え続ける方針で歩みはじめ、

 決して迷ったりしなかったのである。両親の包容力と決意は、子供が賢く幸せに

 成長することによって、今、明らかに救われつつある。

 ジョハンナ・タ−ナ−は著作「認識の発達」で次のように結論する。

  幼児は、外科医の事物を知覚するとすぐにそれに向かって、まず、行動を起こ

  し、続いてこれらの行動を内面化しはじめる、というように発達していく。

  その結果、たとえば目の前に食事が無くても、やがて出てくる食事について、

  考えることができるのである。

 ピアジェはまた、成長のリズムには個人差が非常に大きいことを明らかにしてい

 る。成長段階は、決まった順序であらわれるが、「発達の速度と持続期間はさま

 ざま」なのだ。何よりも重要なのは、ある年齢で特定の成長段階にピタリあては

 まっているかどうかではなく、子供の発達が止まらないで継続していることでは

 ないだろうか。

 ブル−ナ−は「発達に向かって内側から雄力は、それに呼応して外側から引っ張

 る力なしには生まれない」といっている。

 はかりしれないぼと大きなクシュラの幸運は、両親に恵まれたことである。両親

 はクシュラを、「障害を持つ子ども」として受け入れると共に、空理空論は避け

 て、一日一日、適切でしかも実行できると思うことを、ただひたすらやってきた

 のである。彼らのとった手段は、気力に乏しい者には、とうていできなかっただ

 ろう。クシュラ自信が、その手段が適切だったことを紛れもなく証明している。

 家庭での読書のこつ

  本を子供のそばにおくこと。いきなりストーリーには入らず、表紙や見返しを

  ゆっくり見せて想像をふくらませ、本に注意を向けさせること。怒らずにほめ

  ること。


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