1998年12月に、長く所属していた部署から、関係会社に出向しました。
理由は、毎日、深夜に帰る生活で、平日は奈々の寝顔しか見ることが出来ず、
保育園で奈々と過ごす母親とも話しをすることが難しい日々が続いていまし
た。この忙しさは、一時的なものではなく、ほぼ恒久的なものでした。
今の奈々は、自分の置かれている状況を把握する能力はあるけれど、自分の
表現が苦手です。奈々の発する心の叫びを親が聞き取れなければ、奈々は心
を閉ざしてしまうと思ったからです。母親も、弟が出来て、欲求の強い弟に
取られて、奈々は一人自分の中に閉じこもることも多くなっていました。
これが、昨年の4,5月頃だったと思います。
奈々の療育のために、取手市に引っ越してから、奈々のために使う時間をな
んとか取りたいという思いでいましたが、平日は仕事で深夜、土曜日は、病
院にと、また、保育園のバザー回収もあったり、保育園の財政を支えるため
の雑務をこなし、買い物をしたりと、なかなか時間は取れませんでした。
このままではいけないと思い、長い間いろいろと考えてきましたが、我が儘
だけれど、今の技術の仕事から離れ、技術よりも時間の取れる仕事をという
ことで、同じ会社の営業部門に勤めている先輩を訪ね、時間の取れる職場を
探し始めました。
そして、上司に無理にお願いし、時間の取れる職場への異動をお願いしたと
ころ、今の家庭状況を理解して戴き、1998年12月に、長く勤めた、技
術から、同じ敷地内にある技術管理をしている関係会社へ出向させて戴きま
した。直属上司をはじめ、事業部のトップの方も動いてくれたらしく、今の
住まいから近いところということで、スタッフ部門等、いろいろと当たって
いただき、異例の早さで、今の職場が決まりました。
今の職場は、ほぼ毎日、定時に帰宅でき、毎日、帰ってから、奈々と遊び、
ご飯を食べさせ、お風呂に一緒に入り、今、奈々に何が必要か、どうしたら
良いかを話し合うことが出来、奈々が生まれていらい、初めて、また、家族
が再び一つになれたように思います。
当然、収入も減り、弟の保育料と出費もかさむので、お昼の弁当を自分で作
ってお昼代を浮かしたり、読む雑誌を減らしたりと、いろいろな工夫を始め
ましたが、奈々と共に学び、共に生きることが出来るようになり、心は豊か
になったような気がします。
奈々も、最近は、自分の興味のあるものに出会うと、即座に反応し、ニコニ
コになり、興味の無いものには、知らん顔したり、一人でつまらない時には、
猛然と怒ったりと、自分をしっかり表現できるようになってきたような気が
します。きっと、これも、生活を変えることが出来たおかげかなと思ってい
ます。