幸せの形(1998年2月15日追加)


思いがけない、卒業年度を超えた愛情に対するお礼の気持ちと、障害を抱えながら育

つ子供を持つ親の気持ちをつづり、1997年5月に蹊電会誌に投稿したものを掲載

します。

障害を持った子供を持っていることが、不幸だとは思いません。

娘の障害に直面し、失った物もたくさんありますが、それ以上に、人の愛情に触れ、

たくさんの人たちからの励ましと、たくさんの人との出会いを得ることができました。

そして、何より、人間として、少しではありますが、太く逞しく成長することができ

たような気がします。

今月は、家内の出産もあり、奈々は、お姉ちゃんになります。

次の子供が、障害を持っているかもしれませんが、どちらでも良いと思っています。

きっと、奈々と同じように、かわいい子だと思います。

奈々に負けない、たくさんの愛情を注いで、育てたいと思います。

せっかく、私たち夫婦を親に選んで、この世に生を受けるのですから!!


                幸せの形

                           第20回 

私も卒業して、はや12年が経ちました。

○△□に入社してから、最近、クローズアップされはじめている、EMC(電磁環境

適合性)の仕事をメインに、約10年近くが過ぎつつあります。

そして、私も1児の父となりましたが、娘は、レット症候群という大きなハンデを背

負って生まれてきました。もうすぐ、3才を迎えますが、親に甘えること、話すこと、

歩くことは勿論、這うことも満足にできせん。

レット症候群とは、女児のみに起こる進行性の神経疾患で、知能や言語・運動能力が

遅れ、常に手もむんだり、口に入れたりなどの独特の動作を繰り返すことを特徴とし、

いまだ、原因も治療法も分かっておらず、1〜2万人に1人と高い確率で発生し、生

後6〜18ケ月で発病します。それまでは、健常児と同じ発育過程を過ごします。

保育園の保母さんが、娘の異常に気がつき、教えてくれ、市の保健婦さんや、市の療

育施設、病院といろいろなところを訪ね歩きました。脳波やMRI(脳の断層写真)、

染色体検査をし、昨年の7月にレット症候群と診断をされました。異常が分かってか

ら、約1年かかりました。

娘を歩ける人生にしたい、少しでも良い人生を与えてあげたいとの思いから、M○市

から取手市に引っ越し、障害児保育で有名な無認可の保育園に通いはじめました。

そこには、健常児と重度の障害児が同じ保育園の中で関わり合いを持ちながら育つ姿

があり、家内も自分の娘の専任の保母として、母子通園しています。

昨年の10月頃、保育園の経営危機を救うべく蹊電会のメーリングリストで助けを求

め、皆さんには、大変お世話になりました。メールを受け取った方で、不快な思いを

された方もあるかと思いますが、メールを出して、ご支援を戴き、励ましの言葉を戴

き、本当に勇気つげられました。メールを出したとにより、自分の娘に後ろめたさを

感じることなく、自信を持つことができ、また、卒業年度を越えて、お付き合いがで

きたことを本当に嬉しく思いました。この場を借りて、再度、お礼申し上げます。

私の家内は、奈々の療育の為、今年の1月で13年勤めた○△□を退職しました。そ

の退職の言葉は「奈々の病気が分かった時、この子を一生面倒見ていかなければなら

ないのか…と不安に思ったこともあったけれど、奈々がいなければ気付かなかった事

も沢山あったし、主人もここまで育児に参加してくれなかったと思う。奈々の病気は

実は自分達にとって、とても幸せなことなのではないかと最近思うようになった。」

でした。娘の病気がきっかけで、幸せの形は1つではないことを学びました。

娘の療育記録をホームページにしています。是非、一度ご覧下さい。

   http://www007.upp.so-net.ne.jp/rett/

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